《People's Republic of China / 中華人民共和国〜Democratic People's Republic of Korea / 朝鮮民主主義人民共和国》

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国境
撮影場所:中国遼寧省、丹東

(2005年5月)

国境の橋
(左=北・現役の「中朝友誼橋」、かつての鴨緑江第二橋梁)

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国境の橋
(右=南・破壊された「鴨緑江断橋」、かつての鴨緑江橋梁)

写真右が中国側で丹東市、左が北朝鮮側で新義州市。河の名前はここでは「鴨緑江」だが、上流の図們市では「図們江」となる。川の全長は約795km。

1712年、清(中国)と、清の属国状態であった朝鮮は、鴨緑江〜土門江(豆満江)を「境」とすることで合意、現在の国境線となる。鴨緑江は、朝鮮語では「アムルクカン」という。

※丹東での情報(3つの旅行会社、談)
・日本人は(丹東で申し込む場合)新義州へは行けない
・中国人は「新義州の日帰りツアー」が可能(480〜600元)
・中国人は「平壌の3泊4日ツアー」が可能だが2人以上が条件。2人の場合2人で約800ドル。中国人でも北朝鮮のビザ申請に、2週間〜1ヶ月程度必要。

中国国内から丹東市を通過して北朝鮮を訪れる客は約7万人(2002年現在)

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●橋の歴史

日露戦争(1904〜05年)勃発前後、物資輸送の為に、中国大陸(大連)と朝鮮半島を結ぶ鉄道の建設を図ったが、この計画が現実のものになったのは、1908年のこと。この頃、日本が開拓した丹東市は「安東市」とよばれ、新義州市は「新義州府」と呼んでいた。

鴨緑江に架けられた1本目の橋は1908年、日本(朝鮮総督府鉄道局)によって造られた。朝鮮戦争時に米軍によって爆撃をうけ、5橋梁分が落ちたまま現在に至る。

2本目の橋は1943年4月に造られた。この橋も朝鮮戦争時に米軍によって爆撃をうけ、いくつかの橋梁分が落ちが、朝鮮戦争終了後に修復。現在、中国と北朝鮮をつなぐ、鉄路・自動車兼用橋として活躍中。

かつての鴨緑江橋梁の先端より北朝鮮を望む
(対岸は北朝鮮・新義州市、正面に遊園地の残骸あり)

※1本目の橋「鴨緑江橋梁」、現在の「鴨緑江断橋」

1908年、日本(朝鮮総督府鉄道局)によって鴨緑江に1本目の橋が造られた。当時の名称は「鴨緑江橋梁」で、旋回橋形式のものだった。全長944m。幅は11m、橋脚は12本。大型船舶の航行を妨げないように、中央部分が90度に旋回して開くシステムである。ただし第二次世界大戦中は、橋の旋回は中断していた。

朝鮮戦争時にアメリカ軍は、中国から朝鮮への補給路を断つため、2本の橋の破壊を実行した。鴨緑江橋梁は1950年11月8日と14日、アメリカ空軍機(B-29)の空爆により、中央の旋回部分と朝鮮側の4橋梁分の橋が落ちた。以降、修復はされていないが、1993年に整備・観光用に解放されている(20元)。

※2本目の橋「鴨緑江第二橋梁」、現在の「中朝友誼橋」

1931〜1943年4月、日本(関東軍他)によって鴨緑江に、鉄路・道路兼用の2本目の橋が造られた。当時の名称は「鴨緑江第二橋梁」、全長946m1本目の鴨緑江橋梁(現・鴨緑江断橋)との距離は、約100m。

朝鮮戦争時、1本目の鴨緑江断橋(現・鴨緑江断橋、1950年11月爆撃)に引き続き、1951年4月7日。アメリカ空軍機(B-29)は2本目の鴨緑江第二橋梁(現・中朝友誼橋)を爆撃。同橋は、朝鮮側の橋梁の橋部分が落ちた。

朝鮮戦争後、修復が比較的容易な2本目の、鴨緑江第二橋梁(現・中朝友誼橋、2本目の橋)だけ修復されて「鴨緑江大橋」と改称される。だがB-29の爆撃によって落とされた部分は、アーチがない(平らな部分)修復になってしまった(日本の高度な技術の再現は難しく、完全復元はされなかった)

2003年、「鴨緑江大橋」は大幅に整備され、橋の名称を「中朝友誼橋」と改称する。現在は、この橋の利用時間を予め決めて、相互通行している。たまに観光バス(マイクロバス)やワゴン車の通行がある。また貨物専用列車や、モスクワ〜満洲里経由〜北京〜瀋陽経由〜平壌間の国際列車の運行もある。

現在、この橋は中朝共同管理になっている。

※河口断橋

1942年、日本(関東軍他)によって、安東(現・丹東)から更に上流、現在の遼寧省寛甸満族自治区河口鎮辺りに「鴨緑江河口橋梁」がつくられた。これは鉄路ではなく物資輸送のための自動車路の為の橋であった。朝鮮戦争時の1951年、アメリカ軍の爆撃により破壊された。

現在は「河口断橋」としてそのまま残っており、周囲はホテルや別荘が建つ「休暇村」になっている。対岸はやはり北朝鮮。







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